弊社創業者 秋元紀一

令和六年三月十九日

弊社創業者の一人である秋元紀一が天寿を全うし、本日、近親者のみで葬儀が執り行われました。

享年84歳
 

昨夜はこれでもかという涙雨の中を弊社スタッフと共にお焼香をあげました。

本日の葬儀は、弊社から中山博 中山知子、私上山と青鹿で参列。

きちっとした話をしようとするとボロが出るのでこの辺で。
 

ということで、

今朝、昨日の雨は何だったのってくらいの晴天。

春の日差しは暖かく窓を少しあけつつ向かう。

途中、工事渋滞などもあったが色々考えていたらあっという間に斎場に着く。

正直、昨日の通夜も秋元さんの具合が悪いのを知って会いに行ってもいなかったので敷居が高かった…。

うちのスタッフと一緒で助けられた気がする。

秋元さん会いに行かずごめんなさい。
 

私19歳、まだ店へも出ていた中山の元へ通い始めていた頃(私が店に出るようになってからは出なくなった人嫌い。笑)、茶飲み友達のように秋元さんが来てたんですね。

秋元さんと中山は夏でも冬でも常設のストーブの前でいつもゆっくり話してた。

今思うと、あの頃のうちはもっと時間がゆるーく流れていたよなぁー。
 

秋元さんと親子ほど年の離れた自分からしたら、うちの創業者の一人だの大久保力さん(本日いらしておりました)旗印に立ち上げたモーターサイクルショーの事務局長やっていただの後のJMCAとなる礎を築いただの聞いてもピンと来ずだ。

秋元さんはお話し好きの近所のおじちゃんみたいなもんだったんだよね。

生意気いっぱいの自分だったから、中山の客誰彼構わず敬語なんかも使わずだった。

今自分がその年になってみると近所の子みたいなもんなんだろうけど、最近はそういう変な子居なくなったよなぁ。

みんな物凄く礼儀正しい。

まー、その話は置いといて。
 

そんな近所の小坊主みたいな自分を、秋元さんは『おー、元気? そうか。頑張って!』て良くしてくれたんだ。

朝霞に工場を移したときも給湯器を付けに来てくれたっけ。

そう。

本職は設備屋さんなのね。

『紀一と博のF.R.P研究所』

知る人は少ないが、実は秋元さんファイバーアレルギー。

ガラス繊維触ると直ぐ痒くなっちゃうんだって言ってた。

遺影。

とても良い写真だったから、奥さんにお願いして写真を撮らせてもらっちゃった。

写真を写真撮るみたいな。

三十代の頃って言ってたかな。

良く見たら側車付きだね。
 

秋元さんは弟さんと一緒に走ったサイドカーレースで全日本チャンピオンを獲っている。

富士にまだバンクがあった頃の話。

そのバンクをサイドカーレーサーで走るのはめちゃくちゃ怖かったと。

ちゃんと走れないと落っこちちゃうんだって。

もうそれはまるで壁だったとか。

『弟の気持ちが乗らないと、富士まで行って走らずに帰ってきたこともあったんだよ。』

『バルコムのBMWレーサーのエンジン積んでいたから誰よりも速くてさ。それで勝てたんだよ。』て笑ってた。
(バルコム通商が入れ浅間で伊藤史朗さんが駆ったマシンのエンジン)
 

昔話はまた中山がコラムを書いてくれるらしいので、そちらの任せることにする。

10年前に中山と自分が代表交代した際の 記事

個人的には非常に気恥ずかしいのだが…。(;´・ω・)

そのときの秋元さん。

誕生日迎える前だから73歳ね。

しかし、見上げたらホントに雲ひとつない空。

今は煙こそ立たないが気持ちよく飛び出せたんじゃないかなぁ。

良い葬儀だった。

秋元さん。

お疲れ様でした。

二年後の創業50年の祝いが出来なくてちょっと悔しいよ。

あっちでもバイク乗ってよね!

大好きなBMWは売ってるのかな?笑)

ありがとうございました。

あなたが立ち上げた我が社をそっちでも見守ってくださいね。
 

『紀一と博F.R.P.研究所』

現『株式会社ケイアンドエイチ』代表上山 力 スタッフ一同